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冠元顆粒物語り

冠元顆粒物語

冠元顆粒物語

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ドロドロの血液をサラサラにする丹参製剤

「丹参」は、中国産のサルビアの根および根茎です。ドロドロの血液をサラサラにし、血管の詰まりをなくする、非常にすぐれた効能をもっており、中国では古代より利用されてきました。

 それじたいを単独で用いても効果がありますが、ほかの生薬と組み合わせることによって更に効果を発揮します。

 配合する生薬のちがいなどによって、中国には丹参製剤とよばれるものは数多くありますが、なかでも「冠心Ⅱ号方」は代表的な処方として知られています。

 なぜなら、中国の医学研究者たちが、英知を結集してつくりあげた処方だからです。


郭士魁老中医を中心に作られた「冠心Ⅱ号方」

冠心Ⅱ号方は、北京の西苑医院で生まれました。
開発・研究には数多くの専門家がたずさわりましたが、薬理研究の中心となったのが李連達教授、臨床研究の中心をになったのが郭士魁老中医です。「老中医」とは、日本で言えば、経験をつんだ名中医師(漢方医)のことです。

 郭老中医は、1915年に漢方医の家庭に生まれました。幼いころから中医学を習得し、内科、婦人科、小児科などをへて、1950年ごろより脳心臓疾患にかかわるようになりました。

 診療の現場で狭心症の患者さんに接することが多くなり、発作時のあまりに苦しそうな様子や高い死亡率に心を痛めることとなりました。そして、突然死というあっけない結末をたびたび目にするや、なんとかして患者さんたちを救いたいと治療薬の研究に着手されたのです。

 郭老中医は、考えました。
 中医学には「心は血脈をつかさどる」という言葉がある。これは、血液の流れがスムーズであれば心臓の機能は正常であるということで、逆にいえば、心臓の機能の異常は血液の流れがスムーズにいかなくなったということだ。

 また、狭心症や心筋梗塞はたいへんな痛みをともなうが、この痛みも中医学見地からいえば「通じざれば即ち痛む」、つまり血液の通りが悪いことが原因となる。

 そういったことから、「脳心血管疾患に対しては、お血(血流のとどこおり)の治療を抜きには考えられない」という結論にいたったのです。そして丹参などの活血化お(かつけつかお=血行促進)薬を主体に研究を進めていきました。

 郭老中医は、自らの体を実験台として、ときにめまいや吐き気に悩まされながら、開発を進めていきました。

 その結果、多くの研究者の協力もあって、1969年に「冠心Ⅱ号方」が創製されたのです。丹参を中心に、9種類の生薬が配合された薬でした。

 それからさらに研究を進めて、最終的に完成した処方が、丹参、センキュウ、赤芍、紅花、降香の五成分からなる「冠心Ⅱ号方」だったのです。

 なお「冠心」とは、中国の冠心病に由来しています。冠状動脈の硬化によって血管が狭くなって起きる虚血性心疾患などの病気を総称して、中国ではこうよぶのです。


国をあげ、英知を結集して完成

 おりしも、1966年よりはじまった文化大革命によって、中国は激動のさなかにありました。政治・社会が大きく変化するなかで、人々はたいへんなストレスをしいられました。
 そのため、狭心症や心筋梗塞などで命を落とす人が増大していきました。そのなかには、高齢化した中国革命の英雄家たちも少なくなく、中国政府は頭を痛めることとなったのです。
 あまりの事態に、ついに周恩来首相は、全国の医療機関にむけて、冠心病を克服するよう緊急対策をよびかけました。当時、毛沢東主席がひどい心臓病と気管支炎を患っていたことも大きな動機でした。

 それにこたえてまず、北京地区で西苑医院をはじめ北京同仁医院、埠外医院などが加わって、特効薬開発のためのプロジェクトチームが編成されました。

 プロジェクトチームは、「中西医結合」運動の一環として、漢方の治療薬の開発を進めました。中西医結合とは、中医学と西洋医学のよいところを吸収して、新しい医療体系をつくっていこうという壮大な試みです。

 いくつもの治療薬が研究の対象となりましたが、そのなかで際だった治療効果を示したのが、あの「冠心�号方」だったのです。
 そして、数多くの研究者の知恵を結集し、国家予算から巨費も投じられて、生薬の配合比や分量などにさらなる改良が進められました。

 その結果、漢方薬でありながら西洋薬なみの切れ味がある薬「冠心�号方」の処方と研究が完成したのです。中西医結合としてはじめての、目に見える成果でした。
 郭老中医は、1981年、惜しまれながらこの世を去りました。埋葬される老中医の手には、心血を注いだ冠心Ⅱ号方の注射剤が握りしめられていたそうです。


劇にもなった冠心Ⅱ号方の誕生

 文化大革命の嵐のなかで、さまざまな障害を乗り越えて冠心�号方の研究がおこなわれた経過は「丹心譜(たんしんふ)」という劇になり、中国各地で上演されたいへんは人気をよびました。「丹心」とは、日本語で「忠誠心」「赤誠の心」にあたる言葉です。
 冠心Ⅱ号方の開発にあたっては、周恩来首相の一貫した支持があったと伝えられています。薬の開発の中心となった主人公が、四人組の迫害にたえながら周恩来への忠誠心(丹心)をつらぬき、冠心�号方の研究を完成させるというのが、この劇のあらすじです。
 一つの薬の開発研究が国家プロジェクトでおこなわれ、それが劇にまでなるのはひじょうにめずらしいことです。冠心Ⅱ号方の登場は、当時の社会にとって、それだけ画期的な意味をもっていたといえます。


冠心Ⅱ号方の魅力のとりこになった日本の医師たち

 そうしたドラマがあって、ついに完成した冠心Ⅱ号方ですが、これが日本で知られるようになるまでには、さらなる時間が必要でした。
 なぜなら、中国はそのころまだ閉鎖的でしたので、情報がなかなか伝わってきませんでした。そして何より、それまで丹参そのものが日本ではまったく知られていなかったからです。

 ことのはじまりは、1984年の春、東邦大学の五十嵐紀子先生と山口良三先生が、北京での学会に出席されたことでした。
 五十嵐先生らは血液の専門家で、当時はイワシ、サバ、サンマなどの魚に含まれるエイコサペンタエン酸(EPA)の血栓予防効果について研究を進めていました。

 学会の合い間に北京市内の病院を見学されたそうですが、その一つに、あの西苑医院があったのです。そこで血栓症の治療薬として高い効果をあげている冠心Ⅱ号方の注射剤にであったのでした。

「血栓症に効く」とあっては、専門家の先生たちは見過ごすわけにはいきません。注射剤のアンプルを日本にもちかえり、さっそく研究してみることにしたのです。


血小板の凝集抑制作用が確認されて

 帰国後、情報を集めていた五十嵐先生たちは、日本ですでに冠心�号方の魅力のとりこになり、研究をしている人物がいることを知りました。東京薬科大学講師で、薬剤師の猪越恭也先生です。

 猪越先生は、1979年に中国の医学雑誌で冠心�号方のことを知って以来、関連のクリニックの協力をえて、その効果を臨床的に追試していたのでした。

 猪越先生は、冠心Ⅱ号方の煎じ薬を内服することによって驚くべき効果がえられることをすでに確認してはいましたが、自分の手で薬理学的な確証をえたいと切望していました。
「五十嵐先生、冠心Ⅱ号方に血小板の凝集抑制作用があるかどうか、わたしの血を使って調べてください」

 猪越先生の申し出によって、人体実験が開始されました。
 猪越先生は、二人の協力者を連れて毎週一回、血液を提供しに東邦大学へ通われました。

それは、のちの冠元顆粒の実験も含めると、一年以上に及んだといいますから、さぞかしたいへんだったことでしょう。

 結果は驚くべきものでした。冠心Ⅱ号方の5つの成分のうち、降香を除く4つに顕著な血小板の凝集抑制作用が認められ、これら5つをあわせた冠心Ⅱ号方の効果はさらにきわだったものだったのです。

「これはたいへんな薬だ」
時を同じくして、ようやく日本でも、冠心Ⅱ号方の驚異的な臨床効果がたびたびマスコミにとりあげられるようになり、その存在が浸透していきました。

一つ例をあげますと、作家の故・遠藤周作さんが「こんな治療法もあるーもうだめだと諦めている方に」と題する著書のなかで、冠心Ⅱ号方をくわしくとりあげています。


冠心Ⅱ号方の改良薬「冠元顆粒」の誕生

 ちょうどそのころ、中国の成都にある華西医科大学では、冠心Ⅱ号方の改良が進められていました。

冠心Ⅱ合方は、病院で医師が使用する薬として開発された特効的な治療薬で、注射剤が中心でした。これを一般向けに飲みやすい顆粒状に改良して、日常の予防薬としても使えるようにしたいという声が高まっていたからです。

そして、試行錯誤のうえに完成したのが「冠元顆粒」でした。降香を木香と香附子の二つの生薬におきかえてつくられた薬です。
木香と香附子には、降香にはなかったストレスを緩和させる作用や、胃腸の働きをよくする作用があります。

このため、効能の範囲が広がり、女レ撃ノともなう広範囲の症状の改善に用いることができます。

李連達教授は、大阪で開催された日中女レ激Vンポジュウムでの特別講演で「冠元顆粒こそ、まさに冠心Ⅱ号方の名に値する」と賞賛しておられます。

また、猪越先生は「冠心Ⅱ号方は冠元顆粒は今世紀最高の処方の一つだ」とまでおっしゃっています。

多くの人の命を救う「冠元顆粒」の輸入が可能に

冠元顆粒の効能のすばらしさが知れわたるや、何とか日本でも気軽に使えるようにならないかとの声が、医師や薬剤師たちのあいだで高まってきました。心臓や脳の病気に苦しんでいる人たちや、ますます増えつつあるその予備軍への「治療・予防の決定打」が待たれていたからです。

しかし、厚生省の許可がおりるまでがまた一苦労でした。

先にも述べましたが、丹参じたいが日本ではまったくといっていいほど知られていなかったために、日本での使用前例が見当たらず、データ収集にたいへんな苦労を強いられたのです。そのうえ、広い範囲での臨床や薬理データの収集も必要でした。

先に述べた東邦大学でも、ひきつづき冠元顆粒の血小板凝集抑制の実験がおこなわれ、冠心Ⅱ号方を上回る血栓予防効果が確認されました。

こうした数々の難問を乗り越えて、1990年、「冠元顆粒」に医薬品としての許可がおり、販売できるようになりました。現在、「冠元顆粒」は中国から輸入され、多くの人の命を救っています。

五十嵐先生らが研究をはじめて7年、猪越先生にいたっては10年の時をへて実を結んだ大きな成果でした。





























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